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十人組手

沙百合が幼稚園の時から一緒に通い始めた空手の道場。

超越塾上尾支部。

ここでは、黒帯を取ると十人組手という荒行で、新しい昇段者をお祝いする。
十人組手は、10人が代わる代わる相手になり、体力の限界まで闘う気力を引き出すために行う。
5人目で息も絶え絶えになり、8人を過ぎた頃には、立っているのがやっと。
10人を終わるときには、自力で立っていることが難しいほど。
そんな努力に、みんなは声援を送り、感動の涙を流す。

今回は、僕よりも1つ年上の人。
一橋大学を出て、今は損保の会社に勤めている、とてもまじめな人だ。
何をするにも、コツコツと努力する姿は、道場生全員のお手本になっている。

50歳に近いオジサンが、みんなの前で感動の涙を流す。
僕も、今年の2月にチャンピオンベルトを巻いたときには、みんなの前で泣いた。
みんなも泣いてくれた。
今回の十人組手でも、本人はもちろん、声援を送るみんなが涙を流した。

こんな仲間がいることに感謝です。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (4件)

  • お前の言葉をもう一度噛みしめてみた。人間として本当に成長したと思う。親として誇りに思える!真実その通りだと思うよ!
    人間は私利私欲を捨てたときが一番幸せだという事が分かったと言うことは凄いと思う!

  • 感涙に咽ぶ・・・・この歳にして、初めての経験でした。
    この道場がなければ、格闘技をしていなければ、一生そんな経験は出来なかったと思います。

    乗り越えようとする山を自ら設定し、それを乗り越えるための努力をし、それにみんなが共感し、協力して、その結果、その山を越えることが出来たとき、人は感動の涙を流すものだと思います。

    だけど、自分でそれを経験して初めて分かったことがあります。

    協力した周りの人たちは、努力をした本人が感動の涙を流しているのを見て、そこに共感して涙を流します。
    でも、これは、映画を見て泣くとか、スポーツを見て感動するのと、あまり変わらないんです。
    今回の十人組手も、ぼくは協力者の一人として、彼がそれを達成し涙を流している姿に共感したに過ぎません。

    だけど、自分がその本人になったとき、なぜ泣くのか・・・・

    それは、達成感に泣くのではないんだと思います。
    人の優しさに泣くのです。
    僕は、今年の2月の勝利の後、みんなが祝ってくれる席で初めて泣きました。
    それは、協力してくれた仲間の今までの顔が脳裏に浮かんだとき、耐えきれなくなったのです。

    たった一人なら、どんなに大きな試練を乗り越えたとしても、涙は流れないような気がします。
    それは、単なる自己満足だからでしょう。

    幸せなのは、目標を達成しようとしたとき、それに協力してくれる仲間がいること。
    そこには、一片の私利私欲もなく、真剣さと純粋さがあるからだと思います。

  • 感涙に咽ぶと謂うのは どのような時かを自問自答してみる あまり思い出せない 結婚式や葬式では無い

    辛く 苦しい修行の場をやり遂げ 通り越し それもいろんな人の支援や協力があった場面 これらの要素が加わって初めて
    涙が流せる」とそんな風に感じました 
    一人ではなく 人の厚意のようなものが入ることが必須だと思われます 人間には仲間が必要です 人の絆が欠かせません
    富士山の登山でみんなとともに励ましあい登頂したときや 高校野球の勝利など それを乗り越えられた時がこれに属するのでしょう

    これらのことが多いほど充実した人生といえるのでしょうか さすれば 人間やはり辛い苦労が必要だと感じさせられます 

  • みんな真面目な顔をしているな。お互いがその道で各々の現業を忘れて全く損得なしに只ひたすら真剣な取り組みをする・・それが浮き世と違うユートピアの世界だと思う。世間のしがらみを忘れてその中だけでお互いが切磋琢磨しお互いがそれを祝福する事が出来る・・
    矢張り、道は違えど趣味という世界はそれなりに素晴らしいと思う。これからも頑張ってその世界で生きる事が出来るといいな・・・・
    何時までもいつまでも・・そういう世界を持っている人は幸せだと思う。

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